岩坂彰の部屋

第3回 本作りは人とのつながり(後半)

岩坂彰

解決のヒント

時間も含めたコストの壁は大きく、決定的な解決策を私が持っているわけではありません。正直なところ、いままでいくつかのやり方を試してみて、必ず しもうまくいったとは言えません。つまるところ、2倍の定価を付けても本が売れればいいんですが……そんな夢のようなことを言っていても仕方がないです ね。これまでの失敗を踏まえて、なんとか翻訳の流れの実質的な効率を高めて、少しでもストレスを減らすための提言を、いくつか挙げてみます。現実にはいろ いろな制約の中でのケースバイケースの判断になるでしょうから、これが何かのヒントになれば、と思います。

監修者と翻訳者の事前打ち合わせ

翻訳のスタート時に、編集者を含めて直接面談の機会を持つということです。このとき、翻訳者はあらかじめ本を読ん で、どのようなスタンスで訳せばよいかについて監修者の確認をとるつもりで試訳まで作っておくことが大切。キーワードとなる用語の確認までできればいいん ですが。

この機会を通じて、翻訳中に大きな疑問点をメールで問い合わせられる程度の関係が作れれば十分です。訳了前にもういちど相談の機会を作れば申し分ありません。

監修者→翻訳者のフィードバック

事情によって監修-翻訳の直接関係を作れないとしても、監修者のコメントを翻訳者に戻して、翻訳者に修正さ せる経路は作れないでしょうか。監修者としても、自分で文章に手を入れて最終的な訳文を考えるよりも、「こういうふうに直せ」「この資料を参考にせよ」だ けの方が楽なこともあるでしょう。手順として一段階増えても、監修の時間が大幅に節約できるかもしれません。

監修者への訳注

監修者からのフィードバックが不可能な場合でも、せめて翻訳者が訳稿中に注記を入れることを監修者に認めてもらって ください。これは有効です。翻訳者自身が不安を感じている箇所について、どんな資料によってそのような訳になったのかを書き添えるだけでも、監修者はかな り楽に判断できるようになるはずです。翻訳者の側がこれに頼りすぎてはいけないのですが、説明のためにかえってきちんと調べるということもあります。翻訳 者は、無駄に悩まないで済む分、確実に労力は軽減されます。あらかじめ注記の記号を決めておけば、作業も楽です。

監訳の場合には、これを許容するというよりも、推奨するべきだと思います。

編集者→翻訳者のフィードバック

仮に編集者を挟んで監修と翻訳を分断しなければならないとしても、せめて編集-翻訳関係は密にしていただきたいもの です。自分で訳文を直すよりも、訳し直させてダメ出しすればいいのです。細かい説明をするのに時間がかかるのでしたら、ざっくりと「このあたり分かりにく い」だけでもいいんです。直接代案を書かれるより、むしろそのほうがありがたいくらいです。

このへんは翻訳 者の力量次第かとも思うんですが、翻訳の力というのは仕事を通じて付けていくという面もあるわけで、翻訳者を育てるという余裕をちょっと持っていただける とありがたいです。そんなことを言ったら、「全部訳し直し」と言わなければならなくなる? そういう懸念があるときには、最初に一部だけ出してもらうとい う手もありだと思います。一般論として「分割納品」というのは本を馬鹿にしたやり方だと思いますが、あとでその部分をもう一度戻すことを前提にしていれ ば、翻訳家も対応できるはずです。

また、翻訳者の側も、フィードバックを恐れる必要はありません。編集者は第一の読者なのですから、読者の反 応を見て修正すると考えればよいのです。たしかに、人の意見を聞かされて考え直すのはしんどいことです。でも、そこは頑張りどころ。お腹に力を込めて、息 を整えて(そう、弓を引く要領で)、添付ファイルを開くのです。

ツールの活用

私の経験から言うと、メールでの質疑応答は、どんなに気心の知れた相手とでも、すべての疑問点が氷解するということ はありません。どこか痒いところに手が届かない感じが残るものです。かといって、電話だと、その場で解決まで持ち込むのが難しい。そこで私はよく、 Skypeを使って打ち合わせをします。別にSkypeでなくてもいいんですが、両手をキーボードの上に置いたままやりとりできるシステムなら、互いに代 案を目にしながらその場で修正していけます。3人以上でも同時に話せるのも利点です。

直接会って検討するのがいちばんだとしても、行き帰りの時間もかかります。Skypeなら、20分、30分と時間を 切って使えますから、忙しい合間でも対応可能です。(もっとも、ビデオ付きのSkype会議をすると、その前にお化粧の時間がかかるとかいう人もいました が。)

多くの訳者が関わるプロジェクトでは、情報の共有にメーリングリスト(ML)を使うのが一般的かと思いま す。けれども、MLだと、情報の蓄積に難点があります。メーラーの検索機能をうまく使えばよいのですが、それよりも、最近増えているブログ用サーバーを 使って、非公開の情報共有スペースを作るのはどうでしょうか。これまでいくつか試してみて、これだというやり方はまだ見つかっていませんが、wiki型の もの(参加メンバー全員が編集可能)に可能性があるように感じています。

まとめて言うと、人と人とのつながりをどうやってうまく作るかということに尽きます。繰り返しますが、決定的なやり方というものはありません。さま ざまな制約のもとで、ケースバイケースで対応していくしかないでしょう。是非、いろいろな編集現場のアイディアをお聞かせ願いたいと思います。

ともかく私は、良い翻訳書を作る鍵となるのは、編集者が、監修者-編集者-翻訳者の関係をいかに構築するかだと信じています。編集者のみなさん、どうか、独りで仕事をするのが好きな私たち翻訳家を、うまく穴から引っ張り出してくださいませ。


(初出 サン・フレア アカデミー WEBマガジン出版翻訳 2008年4月21日号)